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レイトショー:あなたとの週末

 金曜日、夜九時、駅前で待ち合わせ。密かに想いを寄せている人と二人で映画を観に行く。
 貯まっていたポイントを使ってしまわないといけなくて、映画鑑賞券と引き換えようと思うんですよね。ちょうど二人ぶんのポイントがあるんですけど、あの、ネズさんさえよければ、一緒に何か観ませんか。──なんて、本当はネズさんと二人きりでお出かけしたかっただけ。あからさますぎる口実にも、優しいネズさんは「いいですよ」と了承してくれた。
 ネットで話題になっていた新作映画を観に行こうと決めたけれど、お互いの予定が合わずなかなか約束を果たせなかった。そして、とうとう今日で上映終了という日の朝、明日ってお休みですか!?と慌ててメッセージを送り、急遽レイトショーに付き合ってもらうことになったのだった。
「今日もお疲れ様でした。行きましょうか」
 待ち合わせ場所に着いたら、ネズさんがわたしを労ってくれた。優しいな。
 わたし、こんな遅い時間に映画を観るのって初めてです。そう伝えたら、「初めての相手に選んでくれて光栄です」なんて予想外の言葉に心臓が跳ねてしまった。

 劇場内に足を踏み入れたら、なんと貸切状態だった。ちょっぴりドキドキしながら席につく。肘掛けのドリンクホルダーにドリンクとポップコーンの乗ったトレーを置いた。大きめの容器が真ん中で仕切られていて、塩味とキャラメル味のポップコーンが混ざらないように入っている。どっちの味にするか決められず迷っていたら、「両方買ってシェアしましょう」なんてさらっと二種類とも買ってくれたのだ。ネズさんはドリンクしか頼まないはずだったのに。そういうさりげない優しさが好き。
 辺りが暗くなって、上映が始まった。遠い地方の有名なスタジオで製作された映画で、派手なアクションあり、恋愛模様ありの盛り沢山なストーリーだ。口コミで高い評価を得ていたのもうなずける。なかなか面白くてのめり込んでしまう。
 ところが中盤、主人公とヒロインがいい雰囲気になり、ベッドになだれ込むシーンがあった。アクション映画を選んだはずなのに、こんなに本格的な濡れ場があるなんて。局部こそ映っていないものの、二人の吐息や台詞、カメラアングルからも何かを致していることは明らかだった。
 知らなかったとはいえ、恋人でも何でもない男性とこういうものを見ることになってしまうとは思ってもみなかった。それも一方的に好意を寄せているネズさんと。この映画を提案したのはわたしなので、気まずさと申し訳なさで何だかいたたまれなくなる。
 ポップコーンに伸ばした手が触れて、慌てて引っ込めた。心臓がドキドキと暴れる。二人きりの空間に、艶かしい声が響く。集中できずちらちらと隣を窺っていたら、わたしの視線に気がついたのかネズさんにもこちらを見られてしまう。
 肘掛けに乗せていた手に、ネズさんの大きな手が重ねられた。ど、どうして。素早く絡め取られ、いわゆる恋人繋ぎにされてしまう。あっ、え、え……!?自分の顔がどんどん熱を帯びていくのが分かる。鼓動も今までにないくらい激しい。今すぐ逃げ出したい。わたしを見つめるネズさんが口角を少しだけ上げて、反対の手でスクリーンを指差す。「観なくていいんですか」ってことかな。わたしはもう映画どころじゃないのに、ネズさんはいつも通りの余裕を見せている。ドキドキが収まらないけれど、とりあえず映画に意識を戻す。時折ぎゅ、と繋がれた手を握られて肩が跳ねてしまう。ね、ネズさん、これ、あの、これって……。

 結局、終盤はほとんど集中できないまま上映が終わってしまった。エンドロールが流れて、劇場が明るくなってもまだネズさんの行動の意味が分からなくて、恥ずかしくて顔を合わせられない。ぼんやりとスクリーンを眺めていたら「行きますよ」と促されてしまう。気がついたら手も離されていて、ネズさんはすっかり帰り支度を済ませていた。わ、すみません……!慌てて席を立つ。
「なかなか面白かったですね。観に来てよかったです」
 お、面白かったですね。終盤はあまり覚えていないなんて言えなくて、ネズさんの言葉になんとなく相槌を打つ。
 映画館を出る頃には十一時半を過ぎていた。もうすぐ日付が変わりそうだ。こんなに遅くまで遊ぶのは初めてで、夜中でも昼間みたいに明るいんだなと感心してしまう。交通量も夕方とそこまで変わらない。当たり前のように車道側を歩いてくれるネズさんが好き。
「このまま駅に向かうのでいいですよね」
 そう言われて、どんどん別れが近づいてきていることを初めて自覚した。ドキドキしていたら二時間なんてあっという間で、もう終わりなんだ、と名残惜しくなる。緊張してあまりお喋りもできなかったし、これでおしまいだなんて寂しい。まだ帰りたくないです、なんてわがままを言えたらどんなにいいだろう。
 少しでも長く一緒にいたくて、歩くスピードを少しだけ落とす。そうしたら、ネズさんは足も長ければ歩幅も大きいので、わたしを置いてどんどん先に行ってしまう。ネズさんが遠ざかっていく。ああ、なんか、泣きそう。
「どうしましたか」
 わたしが立ち止まったことに気がついたのかネズさんが振り向いた。近くまで戻ってきてくれて、優しい声で名前を呼ばれる。胸がきゅっと苦しくなる。
「行きたい場所があるのなら、正直に言ってごらん」
 行きたい場所、というか、どこかに行きたいというよりは……。いや、やっぱり言えない。わたしの勝手な願望にネズさんを付き合わせてしまうなんて申し訳ないし、早く帰っておうちでゆっくりしたいかもしれないし。
「もしかして、まだ帰りたくない、ってことですか。寂しい?」
 え、あ……!もやもや考えていたことを見事に言い当てられ、しどろもどろになってしまう。あの、えと、すみません。とっさに謝ったら、予想に反してネズさんは柔らかく笑った。
「大丈夫ですよ。おれもまだ話したいなと思っていたところでした」
 驚いて間抜けな声をあげてしまう。ネズさんが、わたしと一緒に過ごしてもいいと思ってくれていたなんて。意外すぎる展開に胸が高鳴る。
「どこ行きます?こんな時間でも入れるのは……ハンバーガー屋かファミレスか、でもお腹空いてませんよね」
 真面目に考えてくれるネズさん。あの、何というか、もっと、……二人きりでじっくりお話したい、みたいな。明日はお休みですし、まだ時間もあるので、その……。もじもじしながらそんなことを呟いてみる。だって、こんなチャンスはもう二度と来ないかもしれない。わたしにしては珍しく積極的になってみて、だけどすぐに恥ずかしくなって否定した。すみません!何でもないです。忘れてください。
 そうしたら、ネズさんが急に距離を詰めてきて息を飲んだ。肩にそっと手を添えられて、びくりと反応してしまう。唇が耳に触れてしまいそうなくらい近づいて、わたしだけに聞こえるくらいの声でそっと囁かれる。
「……休憩、しに行きますか。二人きりになれますよ」
 心臓が止まりそうになって、それからすぐにばくばくと暴れ出す。その言葉の意味が分からないほど、わたしは子供じゃない。でも、自分とは無縁な言葉だと思っていた。休憩。ネズさんと、休憩。今こそはっきりと言える。これを逃したら、こんなチャンス絶対にもう二度と来ない。ドキドキしながらも小さくうなずいたら、優しい声が降ってきた。
「いいですよ、おれも明日は休みですからね。行きましょうか」
 肩に手を回されて、自然に歩幅を合わせてくれて、来た道を引き返していく。そういえばさっき、「休憩」できる場所の前を通ったような。どぎついピンクのネオンサインを思い出して、思わずこの後のことを想像してしまう。今夜はあそこで、ネズさんと二人きりで……。顔から火が出そうになった。ああだめ、おかしくなっちゃう。どうしよう、こんなに近いと鼓動が伝わってしまうんじゃないか。悶々とするわたしとは対照的に、ネズさんはわたしを気遣いつつ慣れた足取りで目的地へと歩いていく。そわそわしていたらぐいと抱き寄せられた。
「そうだ、せっかく休みなんですからこのままお泊まりしましょう。いいですよね?眠くなったら寝ちまってもいいですし、そのほうがゆっくりできますから」
 お泊まり。これってもしかして、いやもしかしなくてもそういう展開なの。自分から誘ったにも関わらず逃げ出したくなっていたら、ちゅ、なんて耳にキスを落とされて、今度こそ心臓が一瞬止まってしまった。ね、ネズさんの唇が、わたしの耳に。
「クク、そんなに緊張しなくて大丈夫ですよ。……優しくしますから」
 わ、ああ~~っ……!もう間違いなくそういうことなんだ。さっき見た映画みたいになってしまうんだ。この状況で緊張しないなんてとてもできなくて、真っ赤になった顔を隠したくてうつむいた。耳元で小さく笑ったネズさんに大人の余裕を感じてくらくらしてしまう。大好きなネズさんと、まさかこんなことになる日が来るなんて。ああ、夢みたいな週末が始まる。
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words by 甘い朝に沈む(告白はサブタイトルにて)
colors by 或子(除光液のにおい)
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